[飯箸泰宏先生の、M9notesと知能のいい話] 第4話:前言語認知機能

図9 M9notesの前言語能力誘発の仕組み

一般社団法人協創型情報空間研究所
事務局長 飯箸泰宏

ヒトは、多くの場合、言葉で考えると言われています。しかし、果たしてそれだけでしようかというのが私の考えです。人間の祖先と考えられる霊長目が地上に現れたのは1億年前から7千万年前くらいです。そこから派生した人類が言語を持つようになったのはいつごろでしょうか。諸説は入り乱れていて、5万年前だという人もいますが、20万年前だという人もいます。私は、もう少し古くて70万年前くらいだろうと考えています。

このころ人は血縁を基にした群れで生活していましたが、いくつかの群れが集まって村を作る者たちが現れていました(ムレからムラへ)。村を作る者たちこそホモサピエンス・ホモサピエンス(現生人類)で、ホモサピエンス・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)と別れを告げた人々だろうと思います。村を作るためには人々が密接なコミュニケーションをとる必要がありました。言葉なくして村はできなかったのではないかと私は思います。

図7.“遺跡トピックスNo.0267-復元された縄文時代の家-”山梨県.最終更新2017.05.08.
図7.“遺跡トピックスNo.0267-復元された縄文時代の家-”山梨県.最終更新2017.05.08.
https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/201-300/0267.html

いずれにしても、ヒトは文脈がある言葉(言語)を持つ前から石器を作り、槍や投石機などの狩りの道具を作って操り、チームを組んで狩りをしていました。事物に対する高い認知能力を持ち、計画を立案し、実行する力がありました。言葉(言語)による思考の前に、ヒトの思考は生き生きと存在していて、その能力の上に70万年前ころから言葉(言語)による認知が追加され成長していったのだと考えるのが自然な考えではないでしょうか。

言語(言語)が発達する以前の我々の祖先たちの認知能力を「前言語認知機能(前言語認知能力)」と呼んでよいと私は思います※(注)。ここでは認知能力と合わせて建造的知識構成能力(計画能力)なども含めて、「前言語能力」という言葉も使います。

※(注)前言語認知機能(前言語認知能力)について
この能力を以前は「右脳の能力」と呼んでいたことがありますが、最近は右脳・左脳の区別とは無関係であることが分かっています。最近では、「非認知能力」という言葉を使う人が増えています。しかし、前言語認知能力も「認知能力」の一種ですから、これを「非認知能力」と呼ぶのは自己矛盾です。したがって私は「前言語認知機能(前言語認知能力)」という言葉を推奨します。

ヒトの一生は生物史を早送りにして繰り返すと言います。最初の受精卵は単細胞生命のようですが、やがて胎内で成長すると魚のような形態をし、続いて爬虫類に似た形態を経て次第に大きくなり、母体から誕生するころには類人猿のような外見をしています。

赤ん坊は、最初から言葉をしゃべるわけではありません。まずは、オギャーと生まれて、とりあえずはオシッコ、ウンチ、オッパイという言葉がないので、どれでも区別なく泣き声で訴えます。やがて母親の顔と他の者の顔を見分けたり、音のする方向を理解したりするようになります。盛んに言葉を覚えようとする6か月目ごろからは、右に父親がいて左には母親がいるということも分かるようになり、その後しばらくすると上や下という位置関係も理解するようになります。言葉は一語または二語連結程度で不完全ですが、色や形、位置関係や数などは早くから理解して、そのあとで言葉がついてゆくようになります。

「子どもの言語獲得過程は,前言語期を経て,初めて意味のあることばを発する一語発話から,二語文,多語文へと発達する」(中川佳子. ことばの生涯発達心理学. 昭和学士会誌. 第75巻・第2号, p.184-190(2015))

このように、発達心理学でいう前言語期はほんの一瞬であるかのように言われていますが、前言語能力はその後も大いに発揮されていて、女子で10歳、男子で12歳くらいまでの一通り言葉を覚えるまでの期間は、その都度、「前言語→言語への転換」を手探りで図りながら言葉を覚えていると考えられます。

もっと言うならば、その後の大人であっても、新しい概念に遭遇したり、知らない現実に直面したりすれば、色や形、音、触感、味、その時受けた感情の動きなどを頼りに、ありのままの物事を理解しようとして、まずは、絵にしたり、擬音で再現したり、身振り手振り、叫びや悲鳴、唸り声などで理解しようとします。

それらをそのまま他者に伝えればノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)になります。これらの前言語理解を通じて脳内で言語へと転換することに成功すれば言語表現になるのではないでしょうか。言語化に失敗すれば「感覚的にこんなもの」という感覚記憶として認識されることになるはずです。前言語能力が先、言語能力は後、前言語能力の土台があってこその言語能力、前言語能力あっての言語能力と考えられます。その逆は第一義的にはあり得ないのです。

大人は、言葉(単語類、1語または2語連結など)の数々をすでに知っています。しかし、知識・知能は単なる言葉のサラダ(統合失調症などでみられる思考障害の一。単語の一つ一つは正しいが、それぞれがつながりをもたずに発話される状態のこと)ではありません。関連する多数の概念をネットワーク化してさらにはピラミッド型の階層構造をもつ構造体にまで構成しなければなりません。

この知識の構造体(ネットワークと階層構造の二重構造)は作っては壊される賽の河原(さいのかわら)の石積みのようなもので、何度も壊しては積みなおされていくものです。まだ知らない何かを理解するためには、言葉を覚えた後の子供たちや大人たちは関連する概念と紐づけられた言葉を引き出して、その言葉同士をさらに関連付けることで知識構造体を創り上げる機会が多くなります。

図8.恐山の賽の河原の石積み(akio9jp. “賽の河原 石積み” トリップアドバイザ日本.
図8.恐山の賽の河原の石積み(akio9jp. “賽の河原 石積み” トリップアドバイザ日本.
https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g1059452-d1385249-i198237278-Mt_Osore_Sai_no_Kawara-Mutsu_Aomori_Prefecture_Tohoku.html

下から積み上げる賽の河原の石積みように関連する言葉を集めて、下から上へ概念構造体が作られていく場合もありますが、その逆に、中心になりそうな概念を拾い出すところから始まる場合もあります。

あれこれと試行錯誤して組み立てている最中に最初に拾い上げた概念が真の中心でないことに気づけば、最初の概念は捨てられて、新しい概念が中心になります。概念は言葉(=単語類=1語単独、または2語セット程度)に紐づけられ、言葉をつなぐことで概念が結びついてゆきます。言葉は概念操作の道具だからです。

さて、この概念を操作するのは、文法に従う言語(内包と外延だけではなく文脈を持つ文で構成される言葉の集まり)でしょうか。言語はシーケンス(一次元体)です。しかし、作ろうとしている概念は恐山の賽の河原の石積みのようなピラミッド型の構造体(多次元体)です。いったんできた構造体(多次元体)をシーケンス(一次元体)に写す(写像を作る)ことは比較的容易ですが、その逆は人間にとって大変難しいのです。

むしろ、文法にとらわれずに賽の河原の石積みを絵にかき取った方がはるかに知的で自然です。石積みの石の替わりに文法を取り外した言葉(単語類)を積み上げるのがM9notesなのです。

図9.M9notesの前言語能力誘発の仕組み
図9.M9notesの前言語能力誘発の仕組み

M9notesが促すように、中心的な概念を示す言葉を紙に書き、その言葉の周囲に関連する概念(を示す言葉)を書いてゆくことは極めて自然な行為であり、その行為は文法以前のいわば前言語能力を駆使した行為になっています。また、逆向きにもやもやと関連が予想される言葉を周囲に集めてから中心の概念を探すことにも使えます。この場合ももちろん前言語能力を駆使した行為になっています。

ヒトは、前言語能力を駆使してこそ、より良い言語能力を発揮できるのです。

前言語認知機能(前言語認知能力)

この能力を以前は「右脳の能力」と呼んでいたことがありますが、最近は右脳・左脳の区別とは無関係であることが分かっています。最近では、「非認知能力」という言葉を使う人が増えています。しかし、前言語認知能力も「認知能力」の一種ですから、これを「非認知能力」と呼ぶのは自己矛盾です。言語能力以外の認知能力はないという迷信もあるようです。
「非言語認知能力」という言葉もありますが、一部の脳科学者が激しく攻撃しています。「言語を扱う脳の各器官を除去したら認知機能がほとんど失われる。だから、非言語認知能力なんていうものはないのだ」という理由です。ここにも、言語能力以外の認知能力はないという迷信があるようです。
しかし、言葉を持つ以前の類人類やホモサピエンス(旧石器時代の)も認知能力はあったとしか考えられません。そもそもれらの認知能力を「前言語認知能力(前言語認知機能)」と言っていけないことはないでしょう。かれらが持っていた「前言語認知機能」を担う現代人の脳の各器官を除去したら言語はそもそも成立しないともいえるのです。この批判者の皆さんは脳の発達史を全く理解していないように見えますね。歴史を逆転して理解しているようです。
とはいえ「非」は誤解を生みますから、人類史を想起しやすいように「前」という言葉を私は使うことにしました。「前言語認知機能(前言語認知能力)」という言葉は私の造語で、「右脳の能力」「非認知能力」などの言葉の替わりに使用することを推奨するものです。

言葉のサラダ

WIKIPEDIAをはじめとして、ネット上の解説では、ネットスラングの「ワードサラダ」の解説が多数を占めています。
ネットスラングの「ワードサラダ」は、もともと精神医療の分野で統合失調症の方があらわす症状の一つとして知られていた「言葉のサラダ」からの派生です。ネットスラングの「ワードサラダ」は「文法は一見正しくできているのに意味不明な文章(コンピュータの自動生成文などにありがちな)」を揶揄するものです。
私が使用した「言葉のサラダ」は、本来の統合失調症の方があらわす症状の意味です。「文法」については、ネットスラングの「ワードサラダ」とは真逆です。本来の「言葉のサラダ」は文法もほぼ失われて、単語や2語連接などの言葉が脈絡なく出てくる状態を意味しています。
「goo辞書」が比較的まともな説明を書いています。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/267411/meaning/m0u/
下記の1が本来の「言葉のサラダ」、2がネットスラングの「ワードサラダ」です。
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1 統合失調症などでみられる思考障害の一。単語の一つ一つは正しいが、それぞれがつながりをもたずに発話される状態のこと。言葉のサラダ。
2 コンピューターで自動生成された、文法的には正しいが、単語の使い方がでたらめなために意味が通らない文章。スパムメールの文面に用いたり、広告を配置したブログに埋め込んでサーチエンジンの利用者を誘導したりする。文法上は正しい構造のため、コンピューターで不審な文章を自動判別するフィルタリングソフトやサーチボットなどでは除外が難しい。
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一般社団法人協創型情報空間研究所事務局長

飯箸 泰宏

いいはし やすひろ

1946年(昭和21)生まれ 。現役のシステム系講師。都立足立高校でビートたけしと同級。東京大学理学部化学科卒。同情報科学科研究生修了。1981年に株式会社サイエンスハウスを起業し、同時に教壇にも立つようになった。以来会社経営では37年、慶応大学、法政大学、明治大学等のシステム系教員としては38年の経歴を持つ。教え子は8000人を超える。精神障がい者の支援ボランティアにも従事してきた。専門は情報科学で、人工知能、移動体制御などでの実績がある。最近は、脳科学、心理学、哲学を束ねる「知能学」の創出を悲願にしている。

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